 |
|
|
鳩にえさをやっていると、「それは、鳩のえさなんですか？」と彼女が、たずねてくる。
「そうです。」私はじぶんでもおどろくくらいカンペキな無表情でこたえる。軽くせなかを
くすぐられるような感じがしたが、私はいつのまにか、炎天下から、木々の下の
すずしいスペースのほうへ歩きだしているのである。
彼女に運ばれるように、私は、木々の下のすずしいスペースにやってくる。たとえば、ひとは、
おんがくのさいごのさいごで誰かにパッと手をつかまれて、どこかから北に回ってきたもの、ただ
それだけのものなのではないかしら・・・。
電車のなかでは、鳩にえさをやることはできない。そこで、バッグのなかにしのばせている
マシュマロをひとつ、じぶんの口に放り込んでみる。マシュマロは、歯にぷにゅっと当たって、
すぐにとけてなくなってしまう。ちょっと考えてから、マシュマロをもう１個たべる。それから、次の
マシュマロを口に入れるまでの時間が、どんどん短くなっていって・・・ひとのからだのなかにも、
けっこうたくさんの鳩がいるのだなとわかる。
「２階に、いらっしゃるんですよ。」彼女が、ひくい声で話しだす。私はすぐにピンッとくる。
ながいあいだ行方不明になっていた私の祖父は今、この女のひとが３代目に当たるという
「まる寿司」の２階で私を待っているにちがいない。
彼女のあとについて、私は「まる寿司」へと歩いていく。彼女のバッグから、墨のような
ものがてれてれとたれている。アスファルトについた墨の跡をたどるようにして歩いていて、
私は転倒する。膝をアスファルトにうちつける。まるい膝小僧がパクッと口をあけると、そこから
黒い墨がどんどん湧いて、世界にこぼれる。「まる寿司」にたどりついてからも、しばらくの
あいだ、私の膝から墨はあふれつづける。夕方、空が燃えはじめるころ、墨は黒から
あかね色に変わる。気がつくと、「まる寿司」の外の通りから、「まる寿司」の２階の畳の
上にまで大きくつながって、文字らしきものが書かれているようにみえる。
──南ハ、要リマセンカ？
「２階に、いらっしゃるんですよ。」と言われたとき、私はなににピンッときたのだろうか？
実のところ、私に行方不明の祖父はいない。したがって、私は「まる寿司」にも行っていない。
きっと、いつも、私は私にピンッときて、ピンッを忘れて、ポンッと現れる。